2017年9月9日

人間には、心の芯が温かい人と冷たい人がいると思うのです。

 

優しいか優しくないか、慈悲の心があるかないか、そんな性格的なものではなく、その人の魂自体が温かいか冷たいか。

 

そして私自身は、冷たい人間だと思っています。

 

温かい人は多少性格に難があっても、間違えたことをしても、芯には温かい心があるから人は離れない。

 

冷たい人は、表面的には優しくて人当たりが良くても、いざという時には簡単に人を見切れてしまう。

そんな芯の冷たさを隠しきることもできず、人は離れていく。

そんな風にはなりたくないけれど、やはり私は冷たい人間だ。

 

人のために傷を負うことは、私にとっては耐え難い苦痛です。

たとえそれが自分の子供に対してでも。

自分の許容範囲内でなら心を寄せることはできるけれど、1㎜でもはみ出すと逆に刃を向けてしまうのです。

 

他人に共感することが難しい。

人との距離感が難しい。

 

冷たい人間であることがバレないように、陽気でいたり、優しくしたりする。

でも、心の中はうすら寒く、そんな張りぼてだけの自分を相手に見透かされているような気持ちになり落ち着かない。

 

本当の自分がよく分からない。

 

私は1人ぼっちになるんだろうな。

 

他人が羨ましくて仕方がない。

 

覚悟はしているけれど、

寂しくて、寂しくて、寂しいな。

 


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くまよ。

君は温かいのか、冷たいのか。

 

 



 

 

2017年9月5日

ほんの少しのモヤモヤとした感情であったものが、心に沁み込み、そのしみが全体へと広く滲んでゆきました。

 

そうなると、感情のブレーキの利きが悪くなる。

そして暴走する。

 

エンジン吹かして排気ガスを撒き散らしながら、大音量の音楽をかけて猛スピードで走るわけではありません。

 

柔らかい道をスタッドレスタイヤで走るような感覚。

必要のない物を装着して道を傷を付けながら走ってしまう。

 

いけませんね、まだまだです、私。

 

そもそも、ほんの少しのモヤモヤとは何かを考えてみると、

「相手にうまく伝えられなかった自分への歯痒さと、必要以上に自分側の事を悪く言い過ぎたことへの後悔」

でした。

これが、なかなか変えられない癖なのです。

 

変に取り繕わず、自分のことを卑下もせず、そのままを伝えられるようになりたい。

 

モヤモヤしたなら、モヤモヤしたままでいよう。

全く関係のないもので発散するのは止めよう。

被害が大きくなるから。

 


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期間限定、誕生日仕様の壁。

 

いやだいやだと思いながらも、一生懸命考えて作ったおもてなし料理は美味しくなかったです。

 

さあ、明日はお仕事がんばろう。

月初は繁忙期なのです。

 

 

2017年9月2日

私は誕生会を開きたくないのだと思う。

 

次男の誕生会の支度をしながら、少しでも気を抜くと気分がどんどん重くなっていくのが自分でわかる。

 

毎年散々メニューに悩み、ざっと10人分の料理を用意するための食材を抱え、特に食べたくもないホールケーキを2個も予約して。

馬鹿みたい。

 

本当はこんなに仰々しいものではなく、家族でテーブルを囲み、次男の好物を並べて「おめでとう」と言いたい。

 

子供は、祖父母や叔父叔母、姪、甥、皆からお祝いしてもらえることを心から喜んでいます。

そして、そんな風に喜んではしゃいでいる姿を見るのも幸せなことです。

私は子供の頃にこんな大勢の親戚から祝われた経験はないので、それができる今の環境は恵まれているとも思います。

 

ただ、私はこの誕生会の準備が全く楽しくない。

そんなわがままな自分を、よしよししながら甘やかしています。

そうだよね、支度も大変だよね。

やめたいよね。

それでも頑張っちゃうんだよね。

 

でも、喜ぶ次男は私だから。

当日は思いっきり喜ばせてあげよう。

 

 

さて、話は変わります。

 

これからは、物にあたるのをやめる。

 

いくら言葉は穏やかでも、ドアをバタン!としめたり、物を乱暴に置いたりすることで、結局相手を責めていることになる。

自分を傷つけている。

 

怒る時は、静かに怒ろう。

物や態度、言葉で発散しようとするのはやめよう。


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これで今年の夏は終わり。

自分だけの季節ではそうみなす。

2017年8月30日

甘えたい。

認めて欲しい。

私は一人じゃないんだと安心させて欲しい。

 

 

ずっと持ち続けていた私の欲求です。

 

でも、うまくいかないんです。

この枯渇した感情の行き場が見つかりませんでした。

 

こんなに頑張ってるのに、

こんなに我慢してるのに。

 

寂しい、孤独。

 

そんな気持ちが心の一部分を占めていました。

 

それが突然、

一昨日か昨日かな、新しい考え方が浮かんだのです。

自分でも衝撃を受けました。

 

 

「この目の前にいる夫や子供は、私だ。

愛情を求めている私だ。

夫や子供に投影された私だったんだ」と。

 

 

甘えている夫や子供を受け入れられないのは、私自身が甘えている自分を受け入れていないからなんだ。

 

言葉や態度で夫や子供を傷付ける度に、結局自分を傷つけていたんだ。

 

自分が自分を愛さないから、愛されないんだ。

自分が自分を甘やかさないから、甘えさせてもらえないんだ。

 

甘えていいよ。

安心していいよ。

夫と子供の姿をした自分に語りかけています。

そして、めいいっぱい甘えさせてあげます。

めいいっぱい安心を与えます。

 

そうしていると、自分が甘えて安心した気持ちになるのです。

 

まだまだ不完全な考え方だとは思いますが、これまで進んできた方向とは全く違う方向へ向かう分岐点を通過したように感じています。

 

 

 

 

 

2017年8月28日

学校PTAの仕事で、とある大学のゼミを訪れました。

工業系の大学なのですが、これがまあ皆素敵な学生さん達で!

しっかりしていて若さもあり、礼節もわきまえ…たまげました。

 

冬にPTAが開催する小学校のイベントに協力してもらうのですが、今からとても楽しみです。

準備が大変なので今から正直げんなりしていたのですが、あの学生さん達をガッカリさせたくないのでしっかり詰めていこう。

そして、彼ら用のお弁当はとびきり美味しいものを手配しようと思います。


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いつもより遅くに帰宅すると、寝ている次男の横にこのメモが置いてありました。

思いがけなかったので驚きました。

こういう幸せを取りこぼしてはいけないなと思う。

 

 

2017年8月25日

美術館へ行きました。

 

初めて音声案内を借りて館内をまわりました。

一度聴きながらまわってみたいと思っていたのです。

 

一人なので一つの絵を好きなだけ眺めたり、もと来たルートを戻ったり、途中のベンチで休んだり、、自由です。

 

何かグッズを買おうかなとも思ったのですが、欲しい物が無かったのでやめました。

でも、グッズ売場の商品はとても面白かったです。

マグネット、Tシャツ、ポストカード、今回の絵画に因んだキャラクターのもの、エコバッグ等々。

 

見たかった絵を見られたので、とても満足な一日です。

 

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洒落っ気など無い。

おつまみに食べたクラッカーの上にクリームチーズを載せたものと、この枝豆が美味しかった。


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これは微妙でした。

ビールが苦手な人には良いのかも。 

 

2017年8月24日

子供の習いごとの付き添いのため、約1時間「軽く拘束された状態で待つ」時間が週に1度あります。

この時間があまり好きではありません。

 

待つのは良いとしよう。

その間考え事をしたり、本を読んだり、子供の姿を眺めたり、工夫次第でなんとかなります。

 

苦痛なのは、

同じく付き添いで待っているお母さん達の話す内容や佇まいが、見えたり聞こえたりしてしまうこと。

しんどい。

お友達同士で来ている人も多いので、安心感からなのか日常や愚痴の詰まった雰囲気なんですよ。

 

勿論、付き添いのお母さん全員がそうではないです。

 

嫌なら放っておけば良いんだけど、逆に意識してしまうという…。

自らストレス増やすようなことをしてバカだわ。

 

ああ、早くこういう場所に行かなくても良いようになりたい。

 

自分もお母さんなのに、「お母さん」が苦手だ。


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会社で使っているお気に入りのコップ。

しかし、お茶が濃い。