想像力、て大事。
疲れている時、
うまく割り損なった割りばしのささくれのように心がガッシガシしている時、
(触るもの皆トゲトゲ攻撃じゃい)
他人からの思いやりや、気遣いなどのご厚意を平気で見過ごすことがあります。
むしろ鬱陶しく思ったり、NE!
別に頼んでにゃーよ。
そっちが勝手にやってるんでしょー。
だから何?ホワッツ?
優しさを押し付けないでよねっ。
私は自分に余裕がなくなると周りが見えなくなり、視野も45度分くらいに狭くなります。
だから、自分のことで精一杯で、周りの人のことがよく見えていない。
単純に、優しさをくれるその人に興味が無さすぎて無感、みたいな時もあります。
これ結構ひどいね。
あとそれから、存在が近すぎて何かをしてもらうのが当たり前になっている、てこともあるな。
両親や家族、友人に対してとか。
人に何かをしてもらったら無条件に感謝するのだ!
と言うと、少し乱暴な感じ…。
正直、いや、ほんっとにして欲しくなかったことをされてしまうこともあるだろうし。
それで思ったのだけど、
人に厚意で何かをされたら、その人への想像力を持つ、と言うのはどうだろう。
してくれた事=して欲しい事
とは限らない。
でも、相手がそれをしようと思ってくれたという事実には感謝したら良いんじゃないかな、と。
こうしたら私が喜ぶのでは?
これをすると元気が出るのでは?
と、自分を想ってくれたことに感謝はしたいなと。
例え自分的にはいらぬおせっかいでも、相手の人はそれに行きつくまでに時間(たとえ5秒でも)や頭、時にはお金を使ってしてくれたことなのかもしれない。
そこまで想像できたら、
やったことに対しての感謝と言うより、
やろうとしてくれたこと自体に素直に感謝できる。
人からの厚意や優しさを取りこぼさないようにしたいなあ。
こんなことを思ったきっかけはこれ。
ケーキ。
先日、友人がお家に遊びに来てくれた時、その場にはいない夫のぶんも買ってくれていた。
夫は甘いものが基本苦手。
ケーキは食べません。
これは家族のなかでは周知の事実なので、私は例え他の全員にケーキを用意しても夫の分は用意しません。
それは意地悪じゃなく、買われる方が夫には苦痛だと知ってるから。
でも、そんなこと私の友人は勿論知る由もない。
買ってくれたよとその晩、夫に伝えると…
ケーキを一度も見ることなく
「あー、オレは頂かないので明日朝子供にやるわ」
とな。
いやまあ、貰っても迷惑よね。
でも、すぐに突っぱねずに、わざわざ買ってくれた友人の気持ちを受け止めて欲しかったなー。
朝も冷蔵庫に入ったまま忘れてたし。
食べる食べないは別にして。
夫よ!
これで一つ、人からの厚意を取りこぼしたな!
そんな夫を見て、自分のことも反省した次第。
と言うわけで、私が美味しく頂きました。
きゃは。
アゲイン!