2017年9月2日
私は誕生会を開きたくないのだと思う。
次男の誕生会の支度をしながら、少しでも気を抜くと気分がどんどん重くなっていくのが自分でわかる。
毎年散々メニューに悩み、ざっと10人分の料理を用意するための食材を抱え、特に食べたくもないホールケーキを2個も予約して。
馬鹿みたい。
本当はこんなに仰々しいものではなく、家族でテーブルを囲み、次男の好物を並べて「おめでとう」と言いたい。
子供は、祖父母や叔父叔母、姪、甥、皆からお祝いしてもらえることを心から喜んでいます。
そして、そんな風に喜んではしゃいでいる姿を見るのも幸せなことです。
私は子供の頃にこんな大勢の親戚から祝われた経験はないので、それができる今の環境は恵まれているとも思います。
ただ、私はこの誕生会の準備が全く楽しくない。
そんなわがままな自分を、よしよししながら甘やかしています。
そうだよね、支度も大変だよね。
やめたいよね。
それでも頑張っちゃうんだよね。
でも、喜ぶ次男は私だから。
当日は思いっきり喜ばせてあげよう。
さて、話は変わります。
これからは、物にあたるのをやめる。
いくら言葉は穏やかでも、ドアをバタン!としめたり、物を乱暴に置いたりすることで、結局相手を責めていることになる。
自分を傷つけている。
怒る時は、静かに怒ろう。
物や態度、言葉で発散しようとするのはやめよう。
これで今年の夏は終わり。
自分だけの季節ではそうみなす。
2017年8月30日
甘えたい。
認めて欲しい。
私は一人じゃないんだと安心させて欲しい。
ずっと持ち続けていた私の欲求です。
でも、うまくいかないんです。
この枯渇した感情の行き場が見つかりませんでした。
こんなに頑張ってるのに、
こんなに我慢してるのに。
寂しい、孤独。
そんな気持ちが心の一部分を占めていました。
それが突然、
一昨日か昨日かな、新しい考え方が浮かんだのです。
自分でも衝撃を受けました。
「この目の前にいる夫や子供は、私だ。
愛情を求めている私だ。
夫や子供に投影された私だったんだ」と。
甘えている夫や子供を受け入れられないのは、私自身が甘えている自分を受け入れていないからなんだ。
言葉や態度で夫や子供を傷付ける度に、結局自分を傷つけていたんだ。
自分が自分を愛さないから、愛されないんだ。
自分が自分を甘やかさないから、甘えさせてもらえないんだ。
甘えていいよ。
安心していいよ。
夫と子供の姿をした自分に語りかけています。
そして、めいいっぱい甘えさせてあげます。
めいいっぱい安心を与えます。
そうしていると、自分が甘えて安心した気持ちになるのです。
まだまだ不完全な考え方だとは思いますが、これまで進んできた方向とは全く違う方向へ向かう分岐点を通過したように感じています。
2017年8月28日
学校PTAの仕事で、とある大学のゼミを訪れました。
工業系の大学なのですが、これがまあ皆素敵な学生さん達で!
しっかりしていて若さもあり、礼節もわきまえ…たまげました。
冬にPTAが開催する小学校のイベントに協力してもらうのですが、今からとても楽しみです。
準備が大変なので今から正直げんなりしていたのですが、あの学生さん達をガッカリさせたくないのでしっかり詰めていこう。
そして、彼ら用のお弁当はとびきり美味しいものを手配しようと思います。
いつもより遅くに帰宅すると、寝ている次男の横にこのメモが置いてありました。
思いがけなかったので驚きました。
こういう幸せを取りこぼしてはいけないなと思う。
2017年8月25日
美術館へ行きました。
初めて音声案内を借りて館内をまわりました。
一度聴きながらまわってみたいと思っていたのです。
一人なので一つの絵を好きなだけ眺めたり、もと来たルートを戻ったり、途中のベンチで休んだり、、自由です。
何かグッズを買おうかなとも思ったのですが、欲しい物が無かったのでやめました。
でも、グッズ売場の商品はとても面白かったです。
マグネット、Tシャツ、ポストカード、今回の絵画に因んだキャラクターのもの、エコバッグ等々。
見たかった絵を見られたので、とても満足な一日です。
洒落っ気など無い。
おつまみに食べたクラッカーの上にクリームチーズを載せたものと、この枝豆が美味しかった。
これは微妙でした。
ビールが苦手な人には良いのかも。
2017年8月24日
子供の習いごとの付き添いのため、約1時間「軽く拘束された状態で待つ」時間が週に1度あります。
この時間があまり好きではありません。
待つのは良いとしよう。
その間考え事をしたり、本を読んだり、子供の姿を眺めたり、工夫次第でなんとかなります。
苦痛なのは、
同じく付き添いで待っているお母さん達の話す内容や佇まいが、見えたり聞こえたりしてしまうこと。
しんどい。
お友達同士で来ている人も多いので、安心感からなのか日常や愚痴の詰まった雰囲気なんですよ。
勿論、付き添いのお母さん全員がそうではないです。
嫌なら放っておけば良いんだけど、逆に意識してしまうという…。
自らストレス増やすようなことをしてバカだわ。
ああ、早くこういう場所に行かなくても良いようになりたい。
自分もお母さんなのに、「お母さん」が苦手だ。
会社で使っているお気に入りのコップ。
しかし、お茶が濃い。
2017年8月23日
最近、お料理らしいお料理をしていません。
どうしても作る気が起こらないのです。
作りたいものも浮かびません。
まず何より、スーパーへ食材を買いに行くこと自体がとても面倒。
困ったものです。
こんな状態なので、
ここ最近の晩ごはんはと言うと、コープ(個人宅配を利用しています)の冷凍の魚を焼いたり、すでに衣がついた食材を揚げたり(野菜を足すこともなく)、白和えやもずくなど封を開けて盛り付けるだけのお惣菜などが並びます。
まあ、楽しくない。
それに加えて、もう一つ困ったことがあります。
掃除機をかけることがとても億劫。
基本的に毎朝掃除機をかけていたのですが、ここ1ヶ月は3日に1回かけていれば良いほう。
しかし夫が無類の綺麗好きなので、私がやらない時は辛抱たまらず合間を見て掃除機をかけてくれます。
そのため、家が埃まみれになることはありません。
有難いことです。
少し前までは、夫が家事を手伝うのは当たり前のことだとツッパっていたので、お礼の言葉もきちんと伝えていませんでした。
でも今は寝る前に足裏マッサージをしたり、夫が喜んでくれることで私なりにお返しをするよう心掛けています。
無理のない程度に。
夫が家事をすることが特別なことだとは今も思いません。
そこまで思ってもいないのに大袈裟におだてあげるような言葉も、自分がみじめになるので使いたくありません。
でも、やってくれたことには感謝しているのでお返しをするのです。
シンプルなことです。
それにしても、いつになったらヤル気が出てくるのかしら。
ヤル気が出ない時は流れに身を任せ無理をしないようにしているのですが、いつまでもこのままでは困った。
家事に限らず、色々なことがとにかく面倒。
夏の暑さのせい?
こんな風にヤル気スイッチが雲隠れし、ヤル気が底辺にある時用の低燃費な生きかた暮らしかたを模索中です。
要は気持ちの持ちようと、最低限のルール作りかなと思っています。
でも何より大切なことは、
無理をしない!!
駄目な時は駄目に暮らす。
そのうちきっとまた気分が上がって、ヤル気もでてくると信じて。
今はとにかく休もう。
眠ろう。
まだ今も咲き続けてくれる朝顔。
2017年8月22日
最近の悩み。
自分に老けを感じること。
疲れがとれない。
お肌にしみが増えた。
お肌のたるみ。
化粧ノリが良くない。
なんだか体全体に厚みがでてきた。
絶対的にパワーが足りていない。
白髪が増えた。
等々、小さなものまで挙げるときりがありません。
私は年齢が増えること自体は嬉しいです。
若返りたくもありません。
子供の頃から早く年を取りたいと思っていました。
今さら学生に戻るなんて、想像しただけでもしんどいわ。
それなのに、「老け」はすんなり受け入れられずにいます。
しかしこれからは老けを受け入れ、どうやってうまく自分に取り込んでいくかを考えないといけない年齢になったのだな。
抗うのではなく、活かす。
さすがにまだ早いけれど、将来白髪が髪の全体を覆うようになったら、染めたりはせずに白い髪のままで清潔に整え、エメラルドグリーンの服を着る、という漠然とした夢があります。
老いを活かし、年齢に相応した格好をして、このまま仕事もして、余計な感情や物は減らしてラクに生きたい。
そのための、今は大事な分岐点のような気がしています。
舵取りを間違えないようにしないと。
今の自分に似合う服の形や色、好みなんかを整理していこうと思います。
理想ばかりでも、楽さを求めてばかりでもだめ。
それからお化粧道具も自分に合うものを探そう。
あと、欲張りですが、
自分らしい年齢相応の生き方も心掛けたい。
素直に、我を出し過ぎず、たまにはハメも外して、遊んで、学んで、マナーは守って。
よし、まずはクローゼットの服の整理だ。
サマーカットされた台湾もみじ。